心
『礼と節』....<3/12>
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不偸盗(ふちゅうとう) 人の物を盗まないこと。
不邪淫(ふじゃいん) 夫または妻以外の異性との情事など、人の道にはずれた性行為。
不妄語(ふもうご) うそ・偽りを言うこと。
不綺語(ふきご) 真実にそむいて、言葉を巧みに偽り飾ること。
不悪口(ふあっく) 言葉による悪。荒々しく人をののしること。
不両舌(ふりょうぜつ) 二人の人に対し異なることを言って仲たがいさせること。二枚舌。
不慳貪(ふけんどん) 思いやりのないこと。愛想のないこと。あらっぽいこと。また、そのさま。つっけんどん。
不瞋恚(ふしんに) 怒り・憎しみ・怨(うら)みなどの憎悪の感情。
不邪見(ふじゃけん) (1)因果の理法を否定する誤った考え。(2)正しくない見解。よこしまな考え。
という戒律が伝えられています。
なぜ、人間社会にはこういった戒めが必要だったのか、いや今もまだ必要なのかも考えて見なくてはいけない問題かもしれません。

人間は、社会的動物であることは、その歴史を見れば明らかなことです。しかし社会を構成するだけで、人はこの歴史を形成して来られたのでしょうか。社会を構成するためのルールのみで、人は人として生きぬいて来られたのでしょうか。人は、ルール、いわゆる規則や戒律によって束縛されることを嫌います。 他からの束縛には、一生懸命抵抗します。意味もなく。
特に、「断片化された知識量で人を試す戦後教育の犠牲者なのかも知れません。」とみちのぶ こうき(光延 昴毅)氏(国際開発コンサルタント)は言われていますが、私も同感で、私自身も含めて現在では自己主張が過ぎて、潜在的に束縛からの逃亡を図ろうとします。(私が過去に整理した『社会的動物と精神の関係』を載せておきます。)

矛盾はしますが、そのような束縛を嫌う反面、人は自らの向上を求めることを好みます。このことをうまく文化にまで昇華した時代がありました。

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