心
『基本と原理原則』....<4/6>
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品格の備わらない武道・武術は、自己中心的な人格を生みます。自信にもその発露に「仕方」があります。方向を間違えば、エゴとなります。しかし、礼儀と節度を持った自信は余裕となり、人に優しくできます。品格とは、人に対して思いやれる心とその表現であると考えています。

基本と原理・原則の捉え方によって、空手道はいくつもの道に分かれます。百花繚乱といいますか、多種多様に紙面やテレビなどに紹介されるようになりました。やれ、空手はスポーツだ、いや正課体育として生まれた唐手を改称されたものだから、純然たる体育である。はたまた、武道か格闘術かの論は、あとを絶ちません。空手が武道である歴史的事実の根拠を見出すことができない(月刊空手道 金城祐師範談)としても、空手道がすでに日本古来の武道としての道を模索し歩み始めて久しい、と言うことはできるのではないかと思うのです。
また、勉強不足ではありますが、日本に伝わる古武道といわれる分野には、剣・手裏剣・柔術を問わず心・技・体の究極的な道がすでに開かれているように感じます。空手道という名称が、剣術においても禅の思想や神道と結びつき、やがて道として確立されたように、空手道も同様な道を辿ることは、しごく当然ではないかと思っています。
色んな考え、色んな方向があるかも知れません。それはそれで良いと思います。しかし、髓心会は、自らのもつ究極の能力である「髓心」を捜し求める道にその仕方を見出します。

《基本》


原理・原則を具現化し、原理・原則にしたがい表現しようとする基になるのが基本です。この基本を、われわれは空手道においているということです。空手道は、型(かた)がまさに基本であり目的を達するための仕方であり、極意でもあります。この型を十分練磨するために基本動作があり、組み手があります。

「型」とは

ちなみに、型(かた)と形(かたち)というような分け方は、髓心会独自のもので形(型)と呼称されている方が多いかもしれません。

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