心
『型』....<4/6>
▲前のページへ... ...HOME...
特に、「鉄騎」の型には、直立二足歩行の人間がなしえる身体操作の主要な部分が集められています。

なぜ、技の意味を定めるのかというと、型が集大成された時点では、明確であったと思われますが、流儀が時代によってまた受け継ぐ人によって、あるいは解釈の違いから変革してきたに違いないと考えます。私が知るわずか50年余りの歳月であってもその変化は無視できないものがありました。

道場では、髓心会として現時点で考えることのできる合理的と思われる意味を定めています。それゆえ他流または他会派においての解釈は当然違うであろうし、異論はあろうかと思います。この解釈においては、修行の段階で各自それぞれの段階で工夫してもらいたいところでもありますし、現在教えている解釈においても私の修行の道程であり、これからも変化していくと考えてください。

また、この意味を定めない稽古に意味がないことについて説明することにします。
型の順序を覚えることは、形を一つ一つ真似て何度かやってみると、型として演武(型を最初から最後まで行うこと)することは可能です。しかし、腕や足を交叉したり、飛んだり、踏み込んだりあるいは払ったり、蹴ったり突いたりと攻防の技とは解っても、その一つ一つの動作が何を意味するのか解っていないと、技として成り立ちません。まして、型の目的の一つである技ができるまでに至るとは思えません。型を行う目的とは、

① 技の再現性の実現
② 空手道に特化した身体操作を身につける
③ 仮想敵をイメージすることによる実践とのギャップを詰める
④ 一心になる

そこで、髓心会では、型の中に出てくる一つ一つの動作(形)は、一つの意味によると定義しています。
▲前のページへ..... ▼次のページへ...