心
『組手考察』....<1/10>
...HOME...
型が「髓心」を得る最善の方法であると説明してきました。しかし、型の稽古のみで一心になれるかというと、それはその人の資質によるところが余りにも大きいのです。通常の場合は、型のみを練習することによる弊害の方が大きいと言えます。型のみでは画竜点睛を欠くことになります。 型を型として充実するか、あるいは完成の域にまで踏み込むかの分岐点は組手という練習形態にあると思っています。
ここにも仕方があって、組手が強くなるために、あるいは組手が上手くなるために型を練習することもできます。しかし、これでは主客逆転してしまいます。
何のために空手道に足を踏み入れたのか。何を目的にあえて暴力という反社会的な訓練をするのか。自らの人生を快活に、そして幸せを得るためにこそ空手道はあるべきだと考えています。 ある時には試合に勝つためであっても良いと思います。またある時には「型」を美しく仕上げることも良いでしょう。
しかし、しっかりと「型」と「組手」の目的に戻ってきてほしいのです。

以上のことが本当に解ったら「組手」で強くならないといけないのは必須です。なぜなら、一生懸命を体験するためには避けて通ることができない過程だからです。いい加減な気持ちで組手を練習するものではありません。そこに命を懸ける覚悟が必要です。それでこそ「組手」の体験が「型」の稽古に生きてくるというものです。また、真剣な態度で「組手」を練習しないと大けがをすることにもなります。

では、どうすれば、組手が強くなれるのかと言うことを試行錯誤し実体験していきますと、結局は自分自身の心に起因することの大きさに気付きます。もちろん相手の動きに反射的に対応する技も必要ですし、その練習も試合という分野では大きな成果を上げるでしょう。
空手には「一撃必殺」という物騒な言葉があります。この「一撃必殺」という言葉を私は相手の一撃に対して一撃で勝負を決するという意味と覚悟であると思っています。二の手を許さない。次の手に心を囚われない事が稽古の要であると言えます。

△HOMEページへ..... ▼次のページへ...