心
『基本と原理原則』....<2/6>
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まずは、一心にならなければなりません。一心になるための阻害要因を取り除く方法として、「懸命」があります。


「懸命」とは、まさに命がけの心で修練するということです。動かざること山の如しといわれるような磐石の心、不動の心を必要とします。身に危険を感じ、恐怖を乗り越えてこそ、不動の精神が生まれます。不動とは、吉川英治の世界から生み出された宮本武蔵に登場する沢庵和尚[沢庵宗彭(たくあんそうほう)(1573〜1645)]が、禅を通じて兵法の理を解いた「不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)」にいうところの心のあり方そのものです。


遊び半分、馴れ合いの中から「髓心」の心境を得ることはありません。また一心でない心には、雑念が生じます。雑念はあらゆる妄想をかきたてます。妄想から心が解き放たれなければ、『髓心』を自覚することはできません。
一心の心は、いつしか無心の境地に達します。そのとき心は解き放たれ、「髓心」の叡智に包まれます。

《原則》

「仕方」

では、何でもかんでも思いつくままに、一生懸命修行を積めばよいのかというと、やはりそこには「仕方」があります。

〈朝鍛夕錬〉(ちょうたんせきれん)

そのためには、こうしなければならないという筋道があります。朝鍛夕錬という言葉が的確にこの筋道の一端を表しています。すなわち、朝に鍛え、夕べに練る。ただ体を動かす鍛錬や練習をするだけではいけません。十分その鍛錬や練習を振り返り、気づきがなくてはなりません。修行の大部分が気づくことであり、「あっ、そうか」の連続かも知れません。しかし、これだけでは、「画竜点睛を欠く」ことになります。


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